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大和屋本店について教えてください
大和屋本店は慶応4年(明治元年)創業で、150年以上続く道後温泉本館北側に構える老舗旅館になります。
創業時は、和紙の原料である楮ミツマタの仲買を営んでおりました。江戸時代は、道後温泉周辺で商いをすることが許されていませんでしたが、明治になると解禁されるようになりました。楮ミツマタの販路を全国に拡大するため、取引先の宿泊場所を提供するべく、いち早く道後温泉本館北側に4部屋の木造旅館を構えました。
名前の由来は、創業者である奥村保二郎氏が大和の国(現在の奈良県)に縁があったからとも言われています。
その後、宿泊業が主となり、昭和元年には木造旅館の東側に、道後では初めてとなる鉄筋4階建ての洋館を建設。洋館を「大和屋本店」、木造旅館を「大和屋支店」としました。昭和19年に、海軍療養所として一時接収されたものの、昭和21年には営業を再開しました。日本最古の湯として知られる道後は、文化の里。俳句発祥の地として、あるいは近代文学の舞台として、かつて華開いた才気の気配を至るところで感じることができます。
昭和30年代に入り、団体旅行が中心になると、これに対応すべく増築を重ね、昭和43年には現在地へ移転すると共に、部屋数も100室を超える大型旅館へと変貌を遂げます。昭和63年に瀬戸大橋が開通したことで、道後への利便性が一気に高まりました。そこで新しい宿を目指すため、2年間の休業を経て平成8年に、数寄屋造りや聚楽壁、能楽堂など日本の伝統建築にこだわった宿へと生まれ変わりました。
平成元年には姉妹館として大和屋別荘も新築しました。
現在、総客室数は90室(洋室のシングル29室、ツイン2室と和室の59室)で鉄筋10階建ての構造となります。
夕食は和食・会席料理をお出ししており、朝食はSNSでも話題のビュッフェスタイルです。
大浴場、露天風呂、足湯、宴会場が4室(16~58畳)、カラオケ、クラブ、バー、喫茶、エステサロン、200名が入れるコンベンションホールもございます。
大和屋本店 取締役常務 奥村 晃弘 様
大和屋本店 施設管理課 主任 村松 一哉 様
大和屋本店のこだわりを教えてください
大和屋本店の最大の特徴としては、道後温泉本館から徒歩1分の場所にあるということです。
道後温泉本館からの引き湯にて、温泉を楽しむことができます。
また大和屋本店のこだわりとしては、「伝統」と「革新」の共存にあると思います。
「伝統」については、能舞台「千寿殿」です。
平成8年の改築のタイミングで、屋外に独立して建立した日本建築様式の優美な外観と総檜造りの能舞台を館内につくりました。能という一つの文化を伝承するため、建築を行い、松山喜多流能の発表会や能以外に狂言などの伝統芸能上演、結婚式や講演会といった様々な催しに利用されています。(まさに檜舞台という言葉の由来です。)
普段は、足袋を履いて神聖な能舞台の上で自由に写真撮影もできます。

先ほども少しご紹介したように、コロナ禍の前後でお客様が大きく変わりました。
コロナ前は、団体旅行のお客様が多く、社員旅行や高齢の方を中心とした募集旅行や各種組合の旅行でご利用いただくことが多かったです。その為、送客もOTA(楽天トラベル、じゃらんなど)よりもJTBや日本旅行などのエージェント経由での部屋提供が殆どでした。
それがコロナによって大きく変動し、予約方法もOTAがメインとなり、個人客に完全にシフトしました。
年代の幅としても広くご利用いただいています。
その中でも40~50代のお客様が比率としては高い印象です。
休みの期間になると、ファミリー利用やご夫婦、若いカップルの方の利用も増えてきます。
若いカップルの方がご宿泊いただくと、SNSを自発的にアップいただけるので大変有難いです。
シングルルームもあるので、平日のビジネスユースも平均稼働として80%ほどの高稼働で利用いただいております。
昔と異なり、大広間に大勢というよりは、客室タイプとして2名1室がメインになってきました。
インバウンドのお客様は台湾の方や松山との直行便が1日2便になったことで韓国の方も増えてきました。
以前5%ほどだったインバウンド比率もコロナ明け10~15%ほどに高まっています。
シーズンの違いとしては、春は学生が多く、夏は家族連れ、秋は40~60代の行楽利用、冬は春節に重なって中国のお客様が増える印象です。
